徳川氏発祥の地 云われ
徳川氏発祥の地おじま
本市は“太田市徳川町”の地名にもあるとおり、戦乱の世を治めた300年の太平の世の礎を築いた徳川家康公が「わが遠祖は、上野国新田の一族徳川氏である」として、徳川郷を祖先の地としています。
徳川氏の祖は上野国新田郡一円を支配していた源氏の嫡流新田氏であるとされています。
平安時代末期の「後三年の役」の内乱を鎮定した源義家は、東国にその基盤を築き、義家の子義国は関東に下り、その長子義重が「新田の庄」を開き、新田氏の祖となりました。
新田義重は、仁安三年(1168年)に世良田などの開拓の地を四男義季に譲りました。
新田義季は上野国新田郡世良田荘徳川郷(現在の群馬県太田市尾島町)に住んで徳川(または得川)を称し、徳川義季と名乗りました。
これが徳川氏発祥の始まりと言われています。
その後、義季の子孫である親氏は、父有親とともに諸国を放浪し、のち三河松平郷(愛知県豊田市)に住んで松平を称し、松平親氏と名乗りました。
その松平親氏の子孫である松平家康は、後にふたたび徳川氏を名乗り徳川家康となります。