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(終了)八瀬川桜まつりについて

会場となる八瀬川は、金山周辺から流れ出す清流とその両岸に咲き誇る151本ものソメイヨシノの桜並木はまさに圧巻。その景観を背景にステージイベントなどの企画も盛りだくさん。また毎年、賑わう「近隣朝市サミットIN八瀬川」と「美しき夜桜」(ライトアップ)を同時開催。当日はスタンプラリーも開催。桜、清流、イベント、特産品、城下町の街歩き、幻想的な夜桜。一日、お楽しみいただけます。

開催日:平成30年4月8日(日)
時間:9時45分から15時まで
会場:太田市八幡町八瀬川周辺

イベント会場

八瀬川を愛する地域の方々を中心に、文化、郷土伝統等のイベントを開催します。
さらに、太田地区区長会が来場者の方々に日ごろの感謝をこめて最高のおもてなし。

素晴らしい一日を!!

桜まつりプログラム

時間催し物
9:45?10:00開会式
10:00?10:15【オープニング】堀本百香(弾き語り)
10:15?10:45近隣朝市サミット
10:45?11:15一期会 スバル同好会
11:15?11:45梅謡界
11:45?12:15ボンジョル・ノ
12:15?12:45太田女子高等学校 音楽部
12:45?13:15GSG サンバチーム
13:15?13:45ホクレアフラクラブ(フラダンス)
13:45?14:15榊原清重舞踊研究会(日本舞踊)
14:15?15:00西本町レクダンスクラブ(ダンス)

※内容につきましては、一部変更になる場合がございます。

近隣朝市サミットIN八瀬川会場

近隣都市(みどり市・桐生市・館林市・足利市)と地元商店約50店舗が八瀬川沿いの道に一同に会し、各地の特産品の販売や地元のPRを行います。
特産品との”出会い”、“楽しい”イベント、”美味しい”食、を満喫し、笑い声が響き渡る一日。

 

美しき夜桜?八瀬川ライトアップ?

八瀬川沿いの151本もの桜をLEDライト(一部区間)及びぼんぼり電球でライトアップします。春の夜空と八瀬川の水面に照らし出される「美しき夜桜」をぜひ堪能ください。

参考リンク:春のさまざまな花の開花状況(太田市HP)

交通規制及び駐車場のご案内図

パンフレット


PDF:1,558KB

周辺町歩きスポット

 

?知久平が築いた街?
中島知久平(日本の飛行機王)(1884?1949)

中島知久平は、明治17年(1884年)1月11日、父粂吉と母いつの長男として新田郡の押切村(現太田市押切町)で生まれ、18歳の時に軍人を志して上京し、海軍機関学校を卒業、海軍の軍人となり、大正6年(1917年)3月、に退官した時は機関大戦でした。海軍時代の知久平は軍人としての職責を全うする傍ら、アメリカ、フランスで航空機産業の視察・研究を重ね、折から大戦で大鑑巨主砲主義を排し、飛行機の重要性を説くようになり、「飛行機を大空に飛ばす」という自身の夢を現実化することになりました。
知久平は、大正6年5月、海軍を持命のまま尾島町前小屋の養蚕農家の借家に「飛行機研究所」(後に中島飛行機製作所)の看板を掲げ、退役が決定した同年12月に太田町(現太田市金山町)の大光院東の洋館に研究所を移転し、本格的に飛行機の研究・製造を開始しました。
けれども、知久平の飛行機作りは、失敗の連続でした。最初に作った一号機は離陸をしてすぐに墜落してしまいました。二号機も数分飛んだものの着陸に失敗し壊れてしまいました。次の飛行機も失敗におわりました。
そのころは、お金の価値が下がり、様々な物の値段が上がっていたときでした。そこで、地元の人は「札はだぶつく、お米はあがる、あがらないぞい中島飛行機」と、知久平たちが作る飛行機をからかいました。
苦労の末、改良に改良を重ねた大正8年(1919年)2月に第一回東京、大阪懸賞郵便飛行大会で四型六号機は知久平たちが見守るなか、力強く大空にはばたき見事優勝。成功すると陸軍から20機の受注、また、その後、海軍からも受注されました。中島飛行機は、拡大の一途をたどり、主力の太田製作所(現株式会社SUBARU本工場)など周辺に多くの工場や飛行場が立地し、爆発的な人口増加で太田市中心部は、「軍需工業都市太田」と呼ばれるまでに発展しました。

中島知久平邸(観光スポット内)

問合せ先

     八瀬川桜まつり実行委員会(太田市商業観光課内)    

?電話0276?47?1833(事前)

         電話090?2172?3715(当日)