徳川氏発祥の地コース
市内「尾島」地域は、中世より新田一族の荘園の主要地であり、江戸時代には、世良田・徳川の地が徳川義季(よしすえ)の流れを引くことから『徳川発祥の地』として、徳川幕府の厚い庇護を受けて栄えてきました。東照宮をはじめとする、当時の威光を示す数多くの史跡が点在しています。
また、江戸時代、津軽藩の飛び地がこの地域にあったことから、現在、友好都市である弘前市の協力のもと、毎年8月の14、15日に「尾島ねぷた祭り」が開催されています。
モデルコース
(鉄道・バス利用の場合 コース1)
八坂神社
7月下旬に行われる大祭は「世良田祇園」として、かつては関東の三大祭にも数えられていました。
■太田市世良田町1497
■TEL:0276-52-2969
清泉寺
義平山妙満院清泉寺は高野山真言宗の寺で、寺伝によれば、新田義重の娘で、悪源太義平(源義平)の妻がこの地に庵を結んだのが寺の起源とされています。
この寺には、8代将軍徳川吉宗の次子田安宗武(田安家の祖)が、娘誠姫とその婿伊達重村の寿福を願って建立した宝篋印塔があります。
太田市世良田町1490
長楽寺
1221年に徳川氏始祖の義季が臨済宗の栄朝(開宗栄西の高弟)を招いて創建した東日本初の禅寺。
■太田市世良田町3119-7
■TEL:0276-52-1035
世良田東照宮
1644年に徳川3代将軍家光が、日光東照宮改修の際に拝殿や宝塔などをこの地に移築した。
■太田市世良田町3119-1
■TEL:0276-52-2045
新田荘歴史資料館
東日本で最も古代文化の栄えたこの地には、多くの文化財が出土され、貴重な資料として公開されている。
■太田市世良田町3113-9
■TEL:0276-52-2215(入館料:一般200円ほか)
普門寺
天台宗のお寺で、岩松氏寄進の梵鐘や上野国誌著者である毛呂権蔵の墓などがあります。
■太田市世良田町1128
■TEL:0276-52-1039
永徳寺
別名『さつき寺』と呼ばれています。徳川義季がこの地に居住したと伝えられます。毎年5月中旬ごろ、境内一面さつきの花が咲き誇ります
■太田市徳川町373
■TEL:0276-52-1856
縁切寺満徳寺・資料館
江戸時代には鎌倉市の東慶寺と並んで日本で2つしかない幕府公認の縁切寺として知られていました。資料館が併設されています。
■太田市徳川町385-1
■TEL:0276-52-2276
■開館時間:9:30から17:00
■休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
■入館料:一般200円・小・中学生無料
東楊寺
大舘周辺は江戸時代に津軽藩の飛地領があり、東楊寺境内には津軽藩代官足立氏の五輪塔などがあります。
■太田市大舘町1492
■TEL:0276-52-0619
(車利用の場合 コース2)
明王院(千体不動)
高さ6mのピラミッド型の石塔には千体の不動明王像が彫られ頂上には梵字の彫られた石塔が据えられる。
■太田市安養寺町200-1
■TEL:0276-52-0735
花見塚神社
江戸初期の頃まで、この地には、明僕のつつじが一面に咲き乱れていた。建武の中興に功績のあった新田義貞は、後醍醐天皇のおそばに仕えた匂当内侍を、その恩賞として賜った。当代一の美人と言われた内侍のために、義貞はこの地に新しい館を構え、その庭に各地から集めたつつじの名木を植えたという。義貞の菩薩を弔ったと伝えられ、柊塚とか花見塚と呼ばれていた。
■太田市武蔵島町87
浄蔵寺[大銀杏]
浄蔵寺の大イチョウは、根回り14m、目通りは12m、樹高24m、枝張り10mの雄株です。樹齢は400年程と推定されます。このような大木は群馬県内でも極めて珍しいものです。落雷で主幹が傷められたため、幹が多く分かれていますが、樹形、樹勢とも良好であり、大きなちち(乳房状の呼吸根)も垂下しています。産婦が乳の出ない時、このイチョウの「ちち」をとって飲むと乳が出るようになるという伝説があります。
■太田市堀口町221
■TEL:0276-52-3876
岩松八幡宮
新田義貞が、京都大番のおり石清水八幡宮に参詣した時、松の実を拾い持ち帰り、この地に蒔いたところ松の木が生えたので、犬間郷と呼ばれていたのを岩松郷と改め、八幡宮を建てたといわれています。
■太田市岩松町250ほか
青蓮寺
源義国の創建と伝えられ、義国の子孫で岩松尚純がこの寺に隠遁しました。尚純は連歌をたしなみ、連歌師宗長とも交流がありました。寺に残された自画像(県立歴史博物館保管)は、県の重要文化財に指定されています。
■太田市岩松町609
哀愍寺
浄土宗、開山は安土法論の代表者として有名な霊誉(玉念)上人。
■太田市尾島町454-1