国指定文化財
国指定文化財
- 太田市の文化財(太田市のウェブサイトへリンク)
- 市内指定文化財等一覧PDF(09.05.20)28KB
重要文化財
重要無形文化財
史跡
女体山古墳(太田)
所在地:太田市内ヶ島町1506-1ほか
所有者:太田市ほか
帆立貝の形をした全長106m、高さ7mの古墳です。天神山古墳よりやや先行して造られ、これに隣接していることから、天神山の埋葬者とつながりのある人物が眠っていると考えられています。
金山城跡(太田)
所在地:太田市金山町40-16ほか
所有者:太田市ほか
金山城跡は東西約3km、南北約4kmで高さ235.8mの金山丘陵(「万葉集」東歌の新田山か)のほぼ全域にわたって築かれた戦国時代の城です。文明元年(1469)に新田一族の岩松家純によって築かれ、その後、主は下剋上によって横瀬氏(後に由良氏)、そして小田原北条氏とかわり、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされて金山城も廃城となりました。山頂の実城域には新田神社が祀られ、大手虎口を中心に、南曲輪及び日ノ池・月ノ池などが復元整備され、市民の憩いの場・歴史学習の場として活用されています。
天神山古墳(太田)
所在地:太田市内ヶ島町1606-1ほか
所有者:太田市ほか
東日本最大の前方後円墳で、全長が210m、高さは17mあります。二重に巡らされた堀を含めた大きさは355mにも及びます。5世紀前半に造られ、大首長が葬られたと考えられています。
円福寺境内(太田)
所在地:太田市別所町594-1ほか
所有者:円福寺
円福寺は、新田氏4代の新田政義が、鎌倉時代にひらいたと伝える寺で、境内には石層塔や五輪塔など20基余りからなる新田氏累代の墓があります。境内の大半は群馬県内第3位の規模を誇る大型の前方後円墳茶臼山古墳が占めます。
十二所神社境内(太田)
所在地:太田市別所町599ほか
所有者:十二所神社
十二所神社は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部墳頂近くにあります。創建された時代は不明ですが、中に全部で16体の神像が安置されています。
そのうち5体(市重要文化財)には正元元年(1259)の銘があり、そのうち1体には、円福寺初代住職「阿闍梨静亳」が現世安穏と極楽往生を祈願して、10月5日に造像した旨が刻まれています。
長楽寺境内(尾島)
所在地:太田市世良田町3119-6ほか
所有者:長楽寺ほか
徳川氏の祖といわれる新田義季(義重の子)が、鎌倉時代の初め高僧の栄朝を招いてひらいたのが長楽寺です。境内には多数の堂塔があり、多くの宝物は隣接する新田荘歴史資料館に展示されています。
総持寺境内(尾島)
所在地:太田市世良田町3201-6ほか
所有者:総持寺
総持寺は、別名「館の坊」といい、新田氏の館があったといわれています。館の居住者は、新田義重・世良田頼氏・新田義貞などの説があります。
東照宮境内(尾島)
所在地:太田市世良田町3119-1ほか
所有者:東照宮
徳川3代将軍家光のとき、日光東照宮の大改築が行われ、そのとき日光にあった奥社拝殿を長楽寺境内に移したのが現在の東照宮です。明治8年(1875)に長楽寺から分離しました。境内には、長楽寺にかかわる中世遺構が存在します。
明王院境内(尾島)
所在地:太田市安養寺町200-1ほか
所有者:明王院
明王院はかつての安養寺館の跡であり、安養寺殿と呼ばれた新田義貞が館を構えていた場所と推定されています。境内には新田一族の五輪塔などがあります。義貞の鎌倉攻めの際の「新田触不動」伝説が残っています。
生品神社境内(新田)
所在地:太田市新田市野井町1972ほか
所有者:生品神社ほか
元弘3年(1333)に、新田義貞が鎌倉幕府討伐のために挙兵した場所といわれています。境内には、挙兵伝説にまつわる旗挙塚や床几塚があり、毎年、挙兵日である5月8日には、鎌倉に向かって矢を放つ「鏑矢祭」が行われています。
江田館跡(新田)
所在地:太田市新田上江田町924-1ほか
所有者:太田市
反町館跡とともに代表的な館跡で、堀や土塁はほぼ築造時の姿をとどめています。南北約100m、東西80mで、館跡の東西の中ほどに堀が屈曲した部分があり、南側と東側の二カ所に出入口である虎口があります。鎌倉攻めで活躍した江田行義の館跡と伝えられています。
反町館跡(新田)
所在地:太田市新田反町町896-1ほか
所有者:照明寺ほか
新田荘における代表的な館跡で、南北120mの凸字形をした館跡の周囲に水をたたえた堀が取り囲んでいて、新田義貞が居住していたと伝えられています。現在は照明寺の境内となり、反町薬師として親しまれています。
矢太神水源(新田)
所在地:太田市新田大根町244地先
所有者:国土交通省
矢太神水源は石田川の水源で、水量は豊富で水が砂を吹き上げる「自噴現象」が見られます。周辺は「ホタルの里公園」として整備されています。
正法寺(脇屋町562)
所在地:
所有者:
延喜年間(901?923)の開山といわれ、その後、新田義重が改修したと伝えられます。脇屋氏の菩提寺で、境内には脇屋義助(新田義貞の弟)の遺髪塚があります。聖観音像(県重要文化財)や仁王門・仁王尊(ともに市重要文化財)が有名です。
青連寺(岩松町609)
所在地:
所有者:
源義国(新田義重の父)の創建と伝えられ、義国の子孫で岩松尚純がこの寺に隠遁しました。尚純は連歌をたしなみ、連歌師宗長とも交流がありました。寺に残された自画像(県立歴史博物館保管)は、県の重要文化財に指定されています。